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育自ノート…子どもとともに育つ日々<人として・女性として・母として>
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衆議院議員選挙の結果を見て
「これが、今の日本の姿なのだな」と妙に納得してしまった。

私は、この結果(与党圧勝)に全然納得できないし
投票率の低さにも納得できない。
この先、この国がどこに向かおうとするのかを想像すると
恐ろしく思えてくる。

でも。
そう感じない人がいるというのも
与党圧勝を後押しした人がいるというのも
大切な選挙権を放棄し、そっぽを向き続ける人がいるというのも
そして、それが今の日本の多勢だというのも
現実なのだということを
この選挙結果は私に突きつけた。
それは、人それぞれの価値基準に基づいているのだから
「それじゃだめでしょう!」と声高に叫ぶことが
正しいことだとは考えてはいない。

ただ、私の出会ってきた人たち、周りにいる人たちが
似た価値基準を持っていることが多く
大切にすべきことを共有できてきたこともあって
(それは幸せなことだったんだと改めて感じたが)
実は、今でも、社会の大半は
それとは違うところを向いているんだという現実は
結構ショックではあった。
救いは
大切にすべきことを共有しているに違いない
日本中の人たちの願いが
選挙結果からわずかにでもうかがえたことだ。

人それぞれの価値基準だからといっても
この国のあり方や未来に関わることは
私や私の周りにいる人たちに無関係ではないのだから
「それじゃだめでしょう!」と思うことを
あきらめてはいけないと思っている。
私にできることは微々たることでしかないけれども
「本当に大切なことは何か」「今のままでいいのか」ということを
考え方の違う人たちとも共に考え、話し合うことが
何かを変えるきっかけになるかもしれない、と思って
できることを探しながら、行動していきたいと決意している。

こういうことを考えるとき
いつも私の心に響く、ある人のことばがある。
「平和を願うなら、まず自分の心を平和にしないと、と思うの。」
まずは自分のあり方、そして周りの人から。
そういう小さな心がけや、小さな輪は
決して無力ではない、と信じたい。


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 今日は晴。
 気温は決して高くないのに、日差しに温かいものを感じるのは
 季節が着々と春に向かっているからなのでしょう。
 軒下の植木鉢を外に出そうと思い立ち、待てよ、と一人苦笑い。
 「あ、まだまだ雪が降るよね。」

 さて。
 大阪の高校の体罰事件に端を発して
 新聞では毎日、さまざまに体罰のことが報じられるようになっています。
 児童虐待事件が表面に現れるようになったときも
 同じだったように記憶していますが
 次々におもてに現れてくるようになったというだけで
 これが近頃初めて起こったとか、増えてきたということでは
 決してないでしょう。

 体罰=暴力
 これは私も間違ったやり方であると思います。
 それを受けた人の心身に残る傷は計り知れない、と
 痛々しいことと受け止めています。

 ただ。
 ここは間違えてはいけない、と自分に戒めていることがあります。
 それは
 さまざまな場所、状況、過程などなどの中で
 どこからがよくなかったことだったのかを
 きちんと考えなくてはならないということ。
 「体罰があった=それに関連する全てが間違いだった」
 ではないのだ
 少なくとも、暴力を受けた当事者ではない私たちは
 そこを間違えてはいけないのだということ。
 そこを間違えると
 それに関連する他の人たちを傷つけることになりかねないと思うのです。

 大阪の高校の事件に関して言えば
 残念ながら、そこを間違えてしまったんじゃないか
 という思いもしています。
 
 どんなことでもそうだと思っています。
 例えば、子どもたちが何かよくないことをしたとき。
 叱りながら考えます。
 叱るべきは「どの部分なのか」を。
 その後ろにあった思いや子どもの人格そのものまで
 否定しないように、と。

 人生も一日も一人ひとりの人も
 0か100かではありません。
 今日一日の中でひとつつらいことがあったり失敗したりしたからといって
 その一日が全くダメな日になるのではないでしょう。
 自分自身だって100点じゃないから0点だなんて言われたら(苦笑)。

 そしてまた
 自分にとって100であるものが他人にとっては0かもしれないという可能性も
 ないとは言えません。

 だからこそ
 少なくとも0か100かと簡単に判断してしまわないようにと
 どんなときでも心に留めています。
 今日はクリスマスイブ。
 サンタさんにおねだりの手紙を書いた子どもたちは
 お願いしたプレゼントを持ってきてくれると信じている。
 そして、サンタさんに持って帰ってもらえるようにと
 サンタさんへのプレゼントを枕元において眠りに就いた。

 幸せなクリスマスの記憶をできるだけ残してやりたいと思う。
 そして、いつか
 自分のためにサンタさんにお願いした気持ちが
 つらい思いでクリスマスを迎える人たちのために祈る気持ちに
 サンタさんへと贈り物を作る気持ちが
 誰かを喜ばせる喜びに
 変わっていってくれることを願っている。
 そう、いつか…だ。

 子育ては、いつも「いま、ここ」が勝負のようではあるけれど
 実は、「先を見据えて」いるかどうか、ということがとても大切なのだと思っている。
 子どもに注意をするとき、何かを教え諭そうとするとき
 今すぐに変わることや、何かができるようになることは
 ほとんどないと言っていいだろう。
 もし、今すぐに結果を出すことにとらわれて
 無理やりに、強く強くこちらの要求を押し付けてしまったら
 子どもの持つ大切な何かを消し去ってしまうことにもなりかねない、と思う。
 大切なのは
 いつか(今すぐではない、もっと先に)自分の意志でできるようになっていることを目指して
 そして「素敵な大人」になってくれることを信じて
 そのために働きかけ続けるということではないか。

 そして、「先を見据える」ことが大切なのは子育てに限らないのだとも思える。

 けれど…。
 今、すぐ周りを見渡してみても、広く社会を眺めてみても
 何かいつも「すぐに結果が出ること」「何かが目に見えて変わること」だけを
 求めていることが多いように思える。
 このあいだの衆院選の結果を見ても
 やはりそう思えて仕方がなかった。
 選挙の結果だけでなく、投票率の悪さについてもいろいろ理由が考えられているけれど
 私には、今目の前にある問題を何とかすること「だけ」にとらわれすぎていることが
 理由のひとつのように思えた。

 もちろん、すぐに対処していくべき問題があることは確かだろう。
 けれど、それは、すぐに解決するべきであるということとは違うのではないか。
 すぐに結果を出すことだけにこだわると
 どこかにひずみがくるような気がする。
 (それはすぐにでなくとも、いつかわかることなのかもしれない。)
 
 子育ての中で
 「子どもたちにどんな大人になってほしいか」をいつも考えていることが大事なように
 この国にこの先どんな国になっていってほしいのか
 子どもたちのそのまた子どもたち・・・・・・が生きている頃に
 どんな国であってほしいと思うのか
 それを考えることが大事なのだと思う。
 そのために今すべきことは何なのか…。
 
 それを考え続け、そのためにできることをわずかでもやり続けること。
 それが大人としての(未来に対する)責任だと考えている。
 ムスコの口癖は「ひとりでできない~~~(涙)」。
 それに対する私の口癖は「やってみる前からできないって言わないの!」
 そう、何かをしようっていうとき、まず「できない~~」って言うんですから。

 やってみなきゃできるようには決してならない。
 もし、その時うまくできなかったとしても
 やってみてこそ
 じゃあ、どこがうまくいかなくて、どう手伝えばいいのか、
 さらには、どうやったら自分でできるようになっていくのか、わかるというもんです。

 グズグズ言いながらなかなかやろうとしないムスコを見ているとイライラもするし
 手を出しすぎず手伝うというのもなかなか気を使います。
 さっさとやってあげたほうがうんと楽。
 でも、そこはガマンガマン。
 
 そうやって根気よくやっているうちに
 「できない~~~」はうんと減って
 自分でさっさとやってしまえることが増えてきました。
 そういうことの一つ一つが自信にもなっていくのだと、見ていて思います。

 で、大人はどうでしょう。

 今のライフスタイルを守ろうとして「できない~~」と言っていることはないか。
 やらなければいけないことが大きすぎるように思えて
 やる前から「できない~~」と言って投げ出していないか。
 節電、節約、暮らしぶりを変えていくこと…。
 震災で不条理に全てを失った人たちがたくさんいる状況を前にして
 そんなこと、言っていていいのでしょうか…。

 原発の事故を前にして
 それに犠牲を強いられる人たち、困難な作業に立ち向かっている人たちを前にして
 原発のない暮らしはできない、と
 そのために必要な努力を何もせずして言っていていいのでしょうか…。

 他人事にせず、自分にひきつけて考えたとき
 大きなことでなくても、とにかくやっていかなきゃ。
 そして、小さな事がひとつできれば必ずそれが自信になって、次々やれるようになるはず。

 他人事、といえばもうひとつ。
 政治家のみなさん。
 今、日本が直面しているさまざまな困難を、何とか少しずつでも解決しようとしている人に対して
 「うまくやれないから」と怒ってばかりいても、決していい方向には進まないと思います。
 うまくやれないなら、どうすればいいか、みんなで知恵を出し合って考え、動いていけばいい。
 国のトップの資質?
 そんなのは最初からあるもんじゃない、と私は思っています。
 特に今は、これまでにない非常時。
 この中で、一つ一つ何かをやっていくことで、そして、それを応援し、認めてもらえることで
 次に進んでいけるんじゃないでしょうか。
 でもね、そういう立場が「他人事」の人たちが、批判に明け暮れるんでしょう。
 そして、その日その日を懸命に暮らしている被災地の人たちのことも「他人事」だから
 大事な時間をもめることに使うんでしょう。
 うまくやれていることばかりではなくても
 決して投げ出さずに、何かをやろうと動いていること、それだけでも
 私は評価できると思っています。

 こんな状況の中で大人がどんな風に物事に取り組んでいくか。
 「他人事」でなく、自分の問題として真剣に考えているか。
 子どもたちは見ています。
 大げさでなく、この国の方向が決まっていきます。
 心しなきゃ。
 

 ひと月ほど前のことですが
 子どもたち二人とTVのローカル局の教育番組に出演しました。
 読書週間にちなんだ内容で
 いつも通っている近所の家庭文庫へ取材があり
 「家庭での読書の様子も是非」ということで
 光栄にも(というか、ムスメのキャラクターゆえでしょうか、きっと)
 ウチを選んでいただいたのでした。

 1時間ほどの取材の間は何かと制約や注文も多くて
 子どもたちも緊張、そのうちくたびれてきて
 私の方はヒヤヒヤしていたのですが
 15分の番組の中ではうまくまとめてくださっていて
 子どもたちにとってはいい記念になったなあと思います。
 私も、取材を通して
 自分自身の本とのかかわりや本への想いを改めて考えることができて
 いい経験になりました。

 私自身、子どもの頃から
 絵本を始めたくさんの本に親しみました。
 大好きな絵本の世界を子どもたちと共有したいとの想いから
 子どもと絵本を間に向き合う時間を大切にしてきました。
 そして、子どもたちも今は本が大好きです。

 この頃、ふとした時に
 子どもたちの内面が豊かに育っていることに驚かされます。
 それには、きっと
 絵本とのかかわりの深さ、広さが関係しているのだろうなと思います。
 絵本そのものだけではなく
 絵本を通して出会った人、事、場所、そういった諸々にも
 たくさんのものを与えてもらっている。
 それは、傍で見ていて、うらやましくなるくらいです。

 電子書籍なんてモノも登場しました(私にはどんなものかよく分かりませんが…笑)。
 内容を見るだけならそれでもいいのかもしれませんが
 一冊の本を手に取るということには
 それだけではない、もっといろいろな事が含まれているような気がします。
 これから先も、本があふれる世の中であってほしい。
 少なくとも
 子どもたちがたくさんの絵本や児童書に触れられるように。
 その傍には
 大人の暖かいまなざしがあるように(私ももちろんその一人でありたい)。

 ウチの子どもたちも
 これから大きくなるにつれ
 いろんな本と出会うでしょう。
 本との距離は近くなったり遠くなったりすることもあるでしょうが
 本を通して広がる世界を大切にしていってほしいなと願っています。
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性別:
女性
自己紹介:
 1973年生まれ。
 2000年に結婚した夫・ムスメ(2005年生)・ムスコ(2007年生)・ジナン(2012年生)との5人暮らし。
 おいしい(?)ご飯を作ること、子どもと遊ぶこと、ウチの中を整えること、夫と語り合うこと、が暮らしの中心。
 2011年からは絵本や語りの勉強も始めました。いつか自分らしい「おはなし会」を作っていくことを夢見ています。
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